再度、誰の問題なのかを考える

当事者幻想の克服のために

豊田 正弘

障害者問題は禁忌の問題として葬り去られてきた歴史をもっています。障害者は健常者中心の社会にあっては異端の存在であり、蹂躙され、迫害をもって迎えられ、あるいは存在すら抹殺されてきたのです。健常者中心の社会の経済的・政治的状況によって、障害者に対する社会の姿勢はわずかに変動することがあります。たとえばそれは抹殺か隔離か、あるいは無権利状態での放置か、といった程度の問題です。これらはいずれの場合においても障害者の社会的位置に変わるところはありません。障害者の民主主義的要求を獲得する運動も、結局健常者社会によって賦与される条件の幅の問題に結実するものであり、それはおかれている社会的位置に根本的な変化がないことを裏付けています。ここで言う障害者の社会的位置とは、それがあくまでも二義的な存在としてしか位置づけられないと言うことです。障害者問題は、もはや禁忌の問題として葬り去られるものではなく、重要な社会問題として位置づけられています。にもかかわらず、障害者の社会的位置はあくまで二義的にしか位置づけられていません。障害者の存在は未だ社会に受け入れられず、異端としての位置を余儀なくされているのです。

重要な問題はこれがいったい誰の問題なのかということです。「障害の克服」を求める思想、また「異端」であるがゆえに社会と対峙することで主権の回復を求めようとする思想は、いずれも狭義の当事者像に幻想を委ねてしまいます。障害者問題は社会問題ですから、個別の障害者の障害受容や克服に委ねられる質の問題ではありません。また、「異端」としての当事者性こそが問題を解決するという傾向も、障害者に特別な問題解決能力が備わっているかのような幻想に根拠しています。これらの思想的潮流の源流には障害者問題そのものが、健常者中心の政治的権力によって蹂躙され、障害者自身から遠ざけられてきたかという歴史が存在します。問われているのはこうした負の遺産を総括し、その上で障害者問題を社会全体の問題としてとらえ返すことです。

未だなお当事者幻想が蔓延し、障害者解放運動が当事者運動主義に切り縮められている現状は、この作業が進展していないことの証左でもあります。誰もが問題への接近を図りうる状況の創出こそが、焦眉の課題であると考えています。

第34回日本臨床心理学会総会分科会「WHO国際障害分類改訂とこれからの対人援助一一何が障害(援助対象)なのか一一」分科会発題要旨、1998年11月。


2009年9月23日水曜日
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